日本アサヒ機工ものがたり

〜その3〜

「その2」に引続き終戦前後の国全体が苦難に満ちていた時代を振りかえります。

昭和19年の手帳が残されており19年から20年の事業活動の一端を知ることが出来ます。その中からいくつか拾ってみます。販売先は軍関係あるいは軍需関連会社が圧倒的でした。洗濯機の仕様と台数は人員数と関連するので軍秘でした。

日本アサヒ機工株式会社の会社情報〜日本アサヒ機工ものがたり

川棚海軍工廠(長崎県)

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中島飛行機宇都宮製作所(栃木県)

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国府台陸軍病院(千葉県市川市)
受注できても資材や部品の調達が一段と大変でした。 クズ鉄3トンを宮城県まで買付けに行きました。。
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東北本線新田駅から宮城県登米郡米川村(現登米市東和町)にあった鉄工場へ行きました。
やがて終戦となりますが、戦後復興に関連して洗濯機関係の需要は旺盛で当社もいち早く戦災にあった工場を復興しました。 しかし激しいインフレのため物価統制令が出され、商工省から統制価格の認可を得る必要があり、当社の製品も適用を受けました。
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ガソリン清浄装置の価格

終戦後しばらくの間は戦争の傷跡が至る所に残っており、特に戦災孤児の救済は社会的な課題でした。
この問題解決に献身的に尽力していたポーランド出身のゼノ神父の要望で神父らが開設した長崎県の戦災孤児収容施設に洗濯設備を寄贈しました(昭和23年頃)。
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遠心分離機などの価格

ゼノ神父はその他にアリの町での奉仕、北海道の冷害や新潟地震などへの色々な救済活動に活躍し、福祉活動の原点のような人物でした。
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現本社位置にあった工場の前で

ゼノ神父と手回し式木製洗濯機・手回し式脱水機と初代社長菊島辰造
戦災孤児収容施設にまだ電気が引かれていなかったため、手回し式を要望されました。 (現本社位置にあった工場の前で)

その後も神父はたびたび当社を訪れました。

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ゼノ神父と二代目社長菊島千秋

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