「その2」に引続き終戦前後の国全体が苦難に満ちていた時代を振りかえります。
受注できても資材や部品の調達が一段と大変でした。 クズ鉄3トンを宮城県まで買付けに行きました
東北本線新田駅から宮城県登米郡米川村(現登米市東和町)にあった鉄工場へ行きました。
終戦後しばらくの間は戦争の傷跡が至る所に残っており、特に戦災孤児の救済は社会的な課題でした。
この問題解決に献身的に尽力していたポーランド出身のゼノ神父の要望で神父らが開設した長崎県の戦災孤児収容施設に洗濯設備を寄贈しました(昭和23年頃)。
ゼノ神父はその他にアリの町での奉仕、北海道の冷害や新潟地震などへの色々な救済活動に活躍し、福祉活動の原点のような人物でした。
日本アサヒ機工ものがたり
日本アサヒ機工株式会社