更には洗濯機械のみならず、時代の趨勢でもある国産化著しい機械工業や化学工業向けの遠心分離器の開発・製造も行いかなりのか台数を納入しました。
昭和18年には改名と共に工場、陳列所を浜松町に移転・建設し事業の充実を図りました。
技術の蓄積、カタログの整備により販路も日本全国は勿論海外に納品し、内外に当社の評判を高めました。 しかし営業活動は交通機関や宿泊設備が現在のように便利でなく、一旦営業に出るとかなりの長期間にわたったようです。
やがて統制の時代になり価格上限値の制定、原材料不足や企業許可令やなどにより制約条件が増えてゆきました。 原材料、資機材の調達も重要な仕事でした。 お得意先は戦時下を反映して軍関係や軍需産業の工場が増えてきました。
昭和17年には国家総動員法に基づく企業許可令による報告が必要でした。 当社の石鹸製造に関する報告書と東京府知事の受領書が残されていますのでその画像を示します。
日本アサヒ機工ものがたり
日本アサヒ機工株式会社